----------------------------------------------------------------------------
2010年12月『 私の闘病記―闘病25年の心の軌跡~死(無)に怯える心からの解放~26/30 』
(全国膠原病友の会 関西ブロック 『明日への道 ブロック版 №122』)
はじめに
1.「抑うつ状態」の39歳までの私
2.何をきっかけに再起したか
3.再起後の猪突猛進「生き急いだ40代」
4.洗礼を受ける
5.死に対する恐怖
(1)パスカルの場合
(2)私の場合
(3)大町公氏の場合
(4)岸本英夫氏の場合
6. 人間の死生観の2つのタイプ
7.「抑うつ状態」の奥に潜んでいたもの
8. 賭け
(1)パスカルの賭け
(2)私の賭け
(3)岸本英夫氏の賭け
9.私のジクソーパズルの完成と心の平安
10. 最後に
*******************************************************
10. 最後に 1/5
「死んだら無になる」という恐怖を抱いていた私は、いつか人生の途上で真剣にこれに向きあい「自分なりに解決する必要」がありました。(そうしなければ、死の時に無になる恐怖のために錯乱状態になるかもしれません。)
しかしながら、人間は何かのショックに出会わなければなかなかそれを自覚することはできません。SLEの宣告によって死が身近に感じられるようになったのを契機に、深い意識の底に押し込め隠してきたこの恐怖が静かに私の中で再生を始めたのを気がつかなかったのか、それとも直視するのが怖くて気がつきたくないと思っていたのか、その辺はよくわかりませんが、「出口を指し示すかすかな光すら差し込まない真っ暗なトンネルの中で、出口を探してもがいているような戸惑いと不安に満ちた希望の見えない状態」に沈没してしまいます。
この不安感、焦燥感が何に起因するのかわからないままに、病の床からたたき起こされて否が応でも沈没から再起を図らざるを得ない状況に追い込まれます。その後の生き急いだ生活の忙しさや生きがいも、直視することからの逃避であったのかもしれません。
満たされない思いに喘ぎつつ、教会の門をたたいて「キリスト教の説く永遠の命」に希望を見出し、それに賭る思いで受洗しますが、「復活と永遠の命」を心の底から信じ切れずに苦しみます。
昨年ようやく、知識と理性で何でも証明できるかのように思い上がっていた自分と、そのような自分をも愛し、支え、導いてきた背後にある大いなる存在を「魂の体験」を通して知ることができ、「死んだら無になる」恐怖からやっと解放されました。(注:私が得た「理解」は、普遍的な真理や真実である必要はないのです。私の心の問題、魂の問題ですので、あくまでも「私が私の問題を私自身の人生を通して、どう理解し納得して信じ得たか」が重要なのですから。)
(続く)