ふだんはたいてい文庫本の列をながめるのだが、今日はその後ろに半分隠れている新書本の列に目が止まった。
私は本を並べるとき、好きな本は真ん中に、そうでない本は列の端っこに並べるくせがある。
今日は、列の端っこに「たのしい歌のアルバム⑤ たのしいホームソング 音楽之友社」があるのに気がついた。
昭和60年代の刊行で、子どもが生まれてから買った本だが、この20数年間に一回か二回ぐらいしか開かなかった本だ。
買ったときは「歌を歌おう」という気持ちで買ったのだろうが、2010年12月『 私の闘病記―闘病25年の心の軌跡~死(無)に怯える心からの解放~2/30 』1. 「抑うつ状態」の39歳までの私 1/2 にも触れているように、この時期、抑うつ状態で音楽は全く聴かなくなり、もちろん自分で歌うこともできなくなっていたから、せっかく買ったこの本もお蔵入りになったのだった。
私には、30歳から39歳までの9年間に、"空白"がある。
子どもが一番かわいい時代だったのに、この頃の記憶が定かではない。家族で昔話をすると、私だけ記憶が欠落していることを時々気付かされる。
SLEになる前は、ラジオでLPでいつも音楽をかけていた。好きな音楽はバロック音楽、特にバッハ。POPではビートルズと井上陽水だった。なのに、SLE発病後はまったく音楽をかけず、自分がバッハや陽水・ビートルズを好きだったことすら、長年思い出さなかった。
空白の9年間の間に、世はアナログからデジタルに代わり、再び私が目覚めた時には、以前買いためていたLPは無用の長物になり果てていた。今も押入れの中に眠っている。
音楽が好きだったことを思い出したきっかけは、レーナ・マリアだった。ゴスペルがジャズを連想させ、ジャズに夢中になってCDを買いあさり、ライブハウスに入り浸っていた頃、ジャック・ルーシェの「プレイ・バッハ」を聴いて、SLEになる前はバッハが大好きだったことをようやく思い出し、押入れの中で懐かしいLPと対面したのだった。そこで、陽水とビートルズにも会い、彼らも大好きだったことを思い出し、それから再び、CDを買って聴き始めたのだった。
「たのしい歌のアルバム⑤ たのしいホームソング 音楽之友社」のページをパラパラめくってみると、なつかしいフォークソングが収録されている。何曲か、気持ちよく歌い、「井上陽水『人生が二度あれば』」の歌詞をみているうちに、歌詞に登場する父と母の年齢に違和感を覚えた。
この歌が世に出た1970年代は、父母の年齢が64、5歳で歌詞のイメージに合うが、今では74、5歳に想定しないと、歌詞のイメージに合わないような気がするのだ。
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井上陽水「人生が二度あれば」
父は今年二月で65
顔のシワはふえていくばかり
仕事に追われ
このごろやっと、 ゆとりができた
父の湯飲み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば、この人生が二度あれば
母は今年九月で64
子供だけの為に年とった
母の細い手
つけもの石を持ち上げている
そんな母を見ていると人生が
だれの為にあるのか、わからない
子供を育て
家族の為に年老いた母
人生が二度あれば、この人生が二度あれば
父と母が、こたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見る様に、夢見る様に
人生が二度あれば
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1970年代から現在までに日本人の平均寿命は10歳ほど伸び、今の64、5歳の方々はまだまだ若々しくて、"第二の青春"を謳歌していらっしゃるから、特に女性は!
過ぎ去った時の長さを感じさせる歌詞だなぁ・・・と、しみじみ感じた午後のひとときだった。