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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213
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2010年12月『 私の闘病記―闘病25年の心の軌跡~死(無)に怯える心からの解放~1/30 』


過去に書いた文章から⑥2010年12月 SLE25年目(55歳)の時
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2010年12月『 私の闘病記―闘病25年の心の軌跡~死(無)に怯える心からの解放~1/30 』
         (全国膠原病友の会 関西ブロック 『明日への道 ブロック版 №122』)

はじめに
1.「抑うつ状態」の39歳までの私
2.何をきっかけに再起したか
3.再起後の猪突猛進「生き急いだ40代」
4.洗礼を受ける
5.死に対する恐怖
    (1)パスカルの場合
    (2)私の場合
    (3)大町公氏の場合
    (4)岸本英夫氏の場合
6. 人間の死生観の2つのタイプ
7.「抑うつ状態」の奥に潜んでいたもの
8. 賭け
    (1)パスカルの賭け
    (2)私の賭け
    (3)岸本英夫氏の賭け
9.私のジクソーパズルの完成と心の平安
10. 最後に
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 はじめに、25年間の私の病歴を簡単に紹介します。

 85年、30歳の時にSLEを発症して4ヶ月間入院しました。初発症状は顔や腕の紅斑と大量の尿蛋白・白血球減少・抗核抗体上昇・補体価低下で、腎生検の結果ループス腎炎WHO5型とわかり、プレドニン60㎎/dayで治療開始、4ヶ月後に20㎎/dayで退院しました。当時、子どもは長男4歳・長女1歳半でした。現在55歳でプレドニン7.5㎎/dayで維持しています。

 私の25年間の病状の変化と闘病生活の歩みを[図1]にまとめました。
2010年12月『 私の闘病記―闘病25年の心の軌跡~死(無)に怯える心からの解放~1/30 』_f0096508_1052336.jpg
               [図1 25年間の病状と歩み]

 SLEで入院したのは初発時の1回だけです。再燃は①87年(32歳)②88年(33歳)③91年(36歳)④94年(39歳)⑤01年(46歳)の5回ありましたが、いずれも免疫抑制剤やプレドニン増量で在宅で対処しました。ステロイド10㎎/day以下で何とか維持できるようになったのは発病後12年たってからで、入院回数が少ないわりには長期間にわたり大量のステロイドを服用していると自分では思っています。経験上、7.5㎎/dayを切ると押えきれずに再燃するような気がします。

 プレドニンを服用してすぐに、副作用と思われる高血圧・白内障・頻発する 膀胱炎・筋力低下に悩まされるようになりました。鉛の板を背中に背負っているような疲労感や倦怠感を感じるようになり、治療によって病気が良くなっている実感があまりありませんでした。

 私の闘病生活は39歳を境にして激変します。39歳で突然闇雲に病の床から立ち上がり、疾風怒濤のごとく40代を「生き急い」で、今ようやく実りの50代を迎えることができました。昨年、SLEになって初めて「心の平安と幸福感」を感じるようになりました。25年間かかって、私はようやく「暗くて長いトンネル」を抜け出したのです。そのことを友の会に報告したくて、十数年ぶりに友の会の行事に参加し、そこで事務局長の久保田さんから「大野さん、また教壇に立ってもらわれへん?」と言われたのでした。

 実は私は23年前の32歳の時、発病後1年半で教壇に立って闘病体験を学生さん達に語ったことがあります。その時の心境を、私は次のように綴っています。

 私は発病以来、幼い子どもたちのために何とか平穏に永らえたいと願い、ひたすら療養に努めてきました。最低限の家事と子どもの世話が私のでき得る限りの仕事で、私にはこんな生活しかないのだと諦めていました。期限を決めて何かの目標に向かって挑戦することができるとは、不思議なことに考えてもいませんでした。肉体的のみならず、精神的にもひどく臆病になっていたのです。ですから、この発表をやり遂げた時は、口では言い表せないような満足感で一杯でした。" 私にもできるのだ "という喜びと、病気だからと言って夢や希望まで捨てないで、もう一度、自分のための人生を生きるようにがんばってみよう、という想いがわき上がってきました。(教壇に立って「自分のための人生をもう一度」明日への道ブロック版№52)

 この時は確かにそう思ったのですが、私はその後7年間ほど「夢も希望もない、ただ息をしているだけ」というような生活を送ってしまったのです。

 患者が教壇に立つ活動の意義を、患者側から考えて「個々の病歴をまとめる作業に始まって、学生の感想文を読むまでの過程の中で『反省』『発見』『認識』『自信』『自立』へと成長発達を遂げる(菊池素子「―30周年記念講演―患者として看護師として」明日への道 №103)」とすることができるならば、私は発表後『認識』の途中で止まってしまったといえるかもしれません。

 しかし、あることを契機に教壇発表後7年目にして39歳でようやく立ち上がることができ、『自信』『自立』への道を歩み始めることができました。それでも尚且つ、心の奥底の「満たされない何か」に長い間喘いできました。その正体がわかったのが06年で、その問題が自分なりに解決して「真の心の安らぎと幸福感」を得ることができるようになったのが昨年のことなのです。

 この間の25年間の歩みを「心の軌跡を見つめて」という観点から語りたいと思います。恐らく、私の個人的な性格や気質に起因する「私特有の物語」であろうと思います。「人は、一人ひとり異なるのだ」と理解してくだされば幸いです。また、本からの引用が多いですが、その点もお許しください。私にとって本は、私の人生に寄り添い、考え方や生き方に新しい手がかりを与えてくれる「親友」なのですから。

                             (続く)
by dande550213 | 2010-12-27 10:45 | SLE・健康 | Comments(0)