それは、「夫が"献身する"と告白する」、わけのわからない夢だった。
覚えているのはこんな内容の夢。
何かの集まりのような場面で、夜になり、それぞれベッドに入って寝る仕度をしている。もうすでに眠っている人もいる。私も寝る用意をしている。それなのに、夫は服を着替えて出かける準備をしている。私は夫に声をかける。「もう夜も遅いのに、これからどこかへ出かけるん?」夫の返事は例によってあいまいでよくわからなかったが、「そうだ」と答えたような気がした。鼻歌を歌っている。私は布団に入りながら、夫を見ていると、彼は何と、前列に眠っている人々のベッドの傍に跪いて、その人の手を握り、何かを言い、微笑みながら頬にキスをしている。これを何人もの人に繰り返している。何してるんや!そんなことしたら、もう眠っている人を起こしてしまうヤンか、と私は思う。キスされた人々はみな幸せそうな表情を浮かべて眠ったままだ。
私は誰かに尋ねた。夫はいったい何をしているのか?と。そうすると、こんな答えが返ってきた。夫は献身の決心をしたと人々に告げているのだ、と。
ええーっ?何じゃこりゃ?????
と、思って、ここで一端目が覚めた。 ああ、夢やったンか、変な夢・・・と思って、また眠った。
そしたら、続きがあった。
私は、夫が献身なんて、到底信じられないと、教会のH姉妹に話した。そうすると、H姉妹は「本当ですよ。見て御覧なさい。ご主人は人々の車にガソリンを入れるご奉仕をされていますよ。」と言われて、「それはおかしい。人様の車に勝手に触り、許可なくガソリンを入れるなんて、それは奉仕ではない。」と私は言い返した。ここで目覚まし時計のベルが鳴り、また目が覚めた。
意味不明、支離滅裂な夢だ。
しかし、フロイトの夢判断ではないけれど、支離滅裂を解くキーワードはある。
そのキーワードは、「献身」と「ガソリンを入れる=給油」。
昨日、恋に悩む教会の若い兄弟から「××ちゃんと結婚すると献身できない」という内容のメールを2,3回受け取った。これが、夢の中の「献身」の伏線になっていると思う。
また、昨日夫が帰宅後、家の石油ストーブの給油をしたあとで、今から灯油を買いに行くとか、いや明日買いにいくとか話していたばかり。それが私の潜在意識に残った可能性が考えられる。
わが家では、夫が灯油やガソリンの給油をする。私や娘がすると、雑だから、あたりが汚れたり、ポンプに残ったりして、イヤだとおっしゃる。ついに、「自分がするから、もう触るな!」と宣言されたのがつい3ヶ月前。以来、セルフスタンドで灯油やガソリンを買い、家のストーブに給油するのは夫の専売特許(?)になっている。だから、「夫がガソリンを給油」も理解できる。
理解できないのは、「夫」と「献身」が結びついたということだ。
私は夫にクリスチャンになってほしいと願うが、夫に献身してほしいなどと思ったことは一度もない。否、献身などされたら困る。
だから、夢の中で「夫」と「献身」が結びついたことは、「のち知るべし」のお楽しみにしようと思っている。
実は私は、3年前の1月にも不思議な夢を見て、そのことをこのブログにも記録している。
・2007年1月9日 「あまりにも過酷な運命」
・2007年1月10日「不思議な記憶」
そして、いただいたコメントに対して、当時の私は次のような返答を残している。
aさん、私は今まで自分の理性(たとえ、それが取るに足らないものであろうとも)で理解できるような範囲のことしか認めないような傲慢な人間でしたから、今は何だか落ち着かない気持ちです(苦笑)。遠藤周作の本は何冊か持っていますが、不思議なことが出てくる話は知らないので、興味があります。また、探して読んでみようと思います。ありがとう。2007/01/11
今になって思うのです。この体験が少しずつ私を変えていったのではないかと。
私は知識を追い求めていました。しかし、「百聞は一見にしかず」ということわざがあるように、知識として知っていることは、体験として知っていることほど、大きな糧とはならない物足りなさも感じていました。だから、一回でもいいから、聖書に記されているような神の奇蹟を私にも体験させてくださったら、私もあなたを信じることができるのに・・・と、頑なな私は、当時そう思っていました。神さま、おっしゃること、頭ではわかるような気がするけれど、心で霊でわからないのです・・・と。
その私に神さまの方から手を差し伸べてくださったのが、あの一件だったような気がするのです。
もちろん、ただ単に何でもない出来事だったのかもしれません。でも、私の心にあの出来事を不思議と感じさせ、ちっぽけな人間の理性を超えて、理性では到底理解し得ないもの・ことを私は体験したのかもしれない・・・と思わしめたのは、やはり自分の力ではないということをあれ以後、折に触れて思うようになりました。
そして、昨年、やっと神の存在を知識としてではなく体験として理解できるようになり、平安をいただきました。
振り返ってみれば、神さまのなさることで何一つ無駄なことはないと、体験させていただきました。ジクソーパズルの小さな一片が定まった場所にはめ込まれていくような「創造の妙・奥義(?)」を味わっています。
だから、昨日の不思議な夢も、とりあえずは記録しておくことにしたのです。
是非ウチの車にもガソリンを入れていただきたいものです。
と、茶化してばかりですみません。
夢って本当に不思議ですよね。
ルターは眠っている間の無意識が罪を犯さないようにと祈っていましたが、その気持ちは分かる気がします。
夫が頬にキスしていた相手は、なぜか白人の老人ばかりだったので・・・(^-^;)
ルターのその話は私も牧師先生から聞いたことがありますが、悲しいかな・・・私にはその気持ちがよく分からないのです。