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ステロイド剤と2人3脚の全身性エリテマトーデス(SLE)患者の " 猪突猛進、横道うろうろ "人生備忘録:落ちこぼれクリスチャンが心を入れ替えて(- -;)学ぶ日々の「御言葉」と、スペイン語の勉強、SLEの病状などの日々のささやかな記録・・・というのが当初の自己紹介でしたが、今は、単に「日々生きて、夢中になった事ごとの記録」(((^^;)


by dande550213

開けてしまった「パンドラの箱」


きのう、臓器移植改正A案が衆議院を通過した。

臓器不足の懸念から、「国民の臓器はその国の患者に移植すべき」という世界の潮流を突きつけられて、まるで背中に火がついたかのように、十分な審議・討議もなされないままに、駆け込み採決がなされたような感がある。

改正に賛成する支援団体、反対する支援団体という対照的な立場の女性の方が、どちらもハンカチで涙をぬぐっている写真が新聞に掲載されていたのが、とても印象的だった。

うれし涙と思われるのは、心臓移植を待つ間に長男を亡くされた女性。
かなし涙と思われるのは、脳死とされた子供をみとった女性。

どちらの思いもよくわかる。。。。が、いつまで議論してもその思いはかみ合わないだろうと思う。

この問題を考えるとき、私が思うことは、「人間は、開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまって、もう元には戻れなくなっている」ということだ。

パンドラの箱は、「臓器移植という医療行為」だと思っている。

臓器移植への道を開いたことは、人間の領域を超えた領域に人間が踏み込んだ決定ではなかったかと思う。

「他人の臓器の不要な臓器で、別の人の命を救う」というのは、とても合理的な考えだ。

かつて私もそう考えて、発病して病に苦しむ身になったのを契機に、2つのバンクの死後の提供者リストに名を連ねていた。

一つは今も登録して、その会の維持のために毎年会費を払い続けている。
もう一つは、登録して数年で、特効薬が開発されたので、移植の必要が無くなったという連絡があり、バンクが解散になった。

臓器移植法案成立の後、ドナーカードに意思表示をするかどうか悩んだとき、結局しなかったのは、移植という医療行為に疑問を持つようになったからだった。

ある人の命を救うために、別の人の臓器を切り取って使うという行為を認めたことが、果たして正しい選択だったのだろうかと思うのだ。

遺伝子操作、人工授精、代理出産、クローン誕生なども同様。
「命を救う行為」を大義名分にしているが、本当に必要不可欠な医療行為だろうか。

こんなことを書けば、「あたなは移植を待つ親の気持ちがわからないからでしょう」と批判を受けるだろう。

まったく同じ気持ちで理解はできないけれど、私自身もかつて腎臓移植を望んだ時期があった患者の一人だ。また、両親の双方の家系から難病遺伝子を受け継いだ娘の、その発病を防ぐために生きてきたような半生だったから、病気の子供を思う母親の気持ちも少しは理解できるのではないかと思っている。自分の子供が治る見込みのない病気で苦しんでいれば、親は自分の命を捧げても構わないから、代わってやりたい、この苦しみを無くしてやりたいと必死で願うものだ。

このような時に、臓器移植という選択肢があれば、それにすがりたいと思うのは当然だろう。

そして、臓器移植という選択肢があったにも関わらず、日本では従来の移植法案のせいで十分に利用できなくて、子供を死なせてしまったという無念の思いが、根底にあるような気がする。

しかし、最初からそのような選択肢が無かったとしたら、どうだろう。

現実に、治療法にそのような選択肢すら無い病気は、山のようにある。そのような病気で子供や身内を死から救うことのできない家族も数え切れない。そのような方々はただ死を受け入れるより他はない。

人間の死というのは基本的にはそのようなものだと思う。ある段階まできたら、受け入れなければならないものだと。

そして、その段階は臓器移植を含まない。

なぜなら、それは他人の臓器を使うからだ。

今や臓器移植は、エネルギー問題と同じく、南北問題にもなりつつある。

他人の臓器を使って患者の命を救うためには、「より良い状態の臓器が欲しい」となって、心臓の停止を待たずに「脳死」段階で取り出したいと願うようになるのは必然だ。

日本で手に入らなければ、海外で。
死後の臓器が手に入らなければ、貧しい人の頬を札束でたたいて、生きた人から買いたたく。
生きた人からも手に入らなければ、人を殺してでも臓器を手に入れる。
お金さえあれば、何でもOK。もうけるためなら何でもする。

悲しいけれど、コレが人間の本性ではないだろうか。

受け入れなければならない現実を受け入れられない、受け入れたくない、私だけは、何としても・・・と。


同じ日の夕刊の「この一枚の物語」というシリーズに、次のような写真が紹介されていた。
f0096508_2141976.jpg


写真家・藤原新也氏の作品。
写真の舞台は、インド、ガンジス川の中州。流れ死体を食べる2匹の野良犬。
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」


2匹の野良犬はパンドラの箱を開けてしまった人間の姿なのかもしれないと思いながら、この写真を見つめていた。
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Commented by 愛子 at 2009-06-20 09:10 x
共感しました。わたしも複雑な気持ちでニュウスをみました。怖いですね。でも、弱い子供さんをもたれたお母さんのきもちも複雑ではないでしょうか
Commented by dande550213 at 2009-06-24 15:07
臓器移植の先進国スペインでは、臓器売買が問題になっています。自分の子供の腎臓を売る親(http://labaq.com/archives/51199567.html)もいます。臓器移植という医療を認めれば、こういうことが起こるのはわかっていたはずですが・・・。
by dande550213 | 2009-06-19 22:10 | 雑感 | Comments(2)