
このイラスト、良いねえ!
「【小田嶋隆】日本代表のキープレイヤー・本田圭佑の非サッカー面での貢献」というコラムの冒頭のイラストをお借りして、入れさせてもらいました。
本田圭佑選手が代表戦に復帰して、改めて彼の存在の大きさを再認識させられた、というニュースが見られる。
私は、サッカー大好き人間ではないから、サッカーの戦術的なことはよくわからない。本田選手のファンだから、本田選手が出場する試合しか、原則として見ない。(-.-;)
彼のCSKAでの試合は、PCでネット観戦していたが、時差の関係で夜中の1時頃から開始ということが多くて、齢を取るとともに、こんな時間帯に起きていたら膀胱炎が悪化することが多くなり、最近はほとんどYouTubeに上げられた動画で観戦するだけになってしまった。
怪我のあとは、彼のオフシャルサイトだけが頼りという寂しい生活だった。(-.-;)
W杯最終予選に彼が間に合うだろうか、W杯での優勝を一番の目標にあげて公言しているその彼が最終予選に間に合わなかったら、どんなにか挫折を味わうことだろう・・・と人事ながら、胸を痛めていた。
実際、今までの彼は、自分の意志や努力を糧にして生きてきたと思う。そのギラギラとした強靭な精神力が彼の魅力なのだが、人間の努力だけではどうしようもないことが世の中にはある。怪我もそう。膝の怪我で、将来を嘱望された選手が今までに何人も表舞台から退場を余儀なくされている。本田選手のお兄さんもその一人。
その怪我が完治するか否か、怪我を抱えながら選手生活を続けることができるかどうかは、選手の努力だけではコントロールできない部分を含んでいる。自分の意志や努力を糧にして生きてきた(と思われる)彼が、この現実を突きつけられて、現況をどう捉えるのか、それが少し心配でもあった。
人生には、人間の努力ではコントロール出来ない領域がある。難病を得て生きるようになって、私も初めて思い知らされたこと。なぜ、彼女は亡くなり、私はまだ生きているのか?
そういう問いを、津波や災害に遭いながら生き残った人の多くも抱く。そして、私が生かされているのは、ただただ「恵み」でしかないことに気がついて、生かされているという現実に感謝する。
話が横道に逸れたが、そういう思いで、私は本田選手の今後を見守っている。
そして、私が彼に惹かれる理由が「
【小田嶋隆】日本代表のキープレイヤー・本田圭佑の非サッカー面での貢献」に代弁されているようで、うれしくなった。
昨夜、某サイトのヘッドラインから見つけてこの記事を読んだ時、この記事は、絶対ブログに記録しておきたいと思いながら、眠りについた。
翌朝、某サイトのヘッドラインからはもう消えていて、探し出すのに苦労した。(-.-;)
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【小田嶋隆】日本代表のキープレイヤー・本田圭佑の非サッカー面での貢献 Sportiva web2011の1月にアジアカップで優勝してからこっち、わたくしどものA代表は、いまひとつ実力を発揮しきれていない。で、このどうにも歯痒い一年間は、本田圭佑選手の不在期間とほぼ一致している。
選手個々の能力に不満は無い。彼らはとても巧い。トラップの質を見るだけでも、一世代前の代表選手たちとは、技術の根本のところが違っていることがわかる。個々の当たりの強さやフィジカルも改善されている。
とすれば、アジアカップ以降、ザッケローニのチームから、何かの魔法が失われているように見える理由は、やはり本田圭佑の不在に求めなければならないのだろうか。
この一年間、代表のゲームを観戦しながら、私は、いつも、頭のどこかで、出場していない本田選手について考えていた。
なので、5月23日に開催されたキリンチャレンジカップ・日本代表VSアゼルバイジャン代表戦では、当然、本田選手に注目していた。そういうファンは多いと思う。
答えは、いきなり提示された。
開始から10分もしないうちに、今回のチームの出来の良さが随所に見えたからだ。
無論、サッカーは相手のあるスポーツだ。どんなチームでも、弱い敵と対戦している時には、良いサッカーをしているように見える。そういう意味で言えば、FIFA順位109位の相手を圧倒したからといって、うちのA代表がよみがえったと単純に喜ぶわけには行かないのかもしれない。
でも、私はピッチの上を動く香川選手の躍動感や、森本選手のスピードを眺めながら、チームにポジティブな変化が生じていることを確信していた。
「変化」は、必ずしも、本田選手のプレーが随所に冴え渡るといった形でもたらされていたわけではない。むしろ、本田選手が真ん中にいることで、他の9人のフィールドプレイヤーの動きが活性化していたというのが、適切な言い方になると思う。
このあたりは、ちょっと説明がむずかしいところだ。
本田選手がボールを持っている時のプレイだけを選び出してリプレイしてみれば、彼自身の功罪ははっきりする。見ると、本田選手は、随所で良いパスを出している。素晴らしいフリーキックを蹴ってもいる。要所要所で適切なボールキープもしている。だから、彼が「効いて」いなかったということはない。
が、いくつか露骨なパスミスを犯していたことも事実だし、意図のわからないプレイもとこどころで露呈している。つまり、本田圭佑本人の出来としては、凡庸な水準にとどまっていた。さらに言うなら、絶好調時のと比べれば、物足りないパフォーマンスだったと言ってもいいかもしれない。ともかく、23日のゲームは、そういう出来だった。
が、それでも、チームは明らかに活性化していた。
本田選手がいると、サイドの選手は前に出る意欲を持つようになる。ボランチも積極的なポジションをとることができる。
理由はたぶん、
「本田がボールを持っている以上、敵にボールを渡すことはないはずだ」
という個々の選手が抱いている信頼にある。
が、それだけではない。
私から見ると、単なるボールキープ力やパス出しのタイミングへの信頼感とは別の、より精神の根本に影響する何かが、本田選手からは醸し出されている気がするのだ。
今回は、その、本田選手の、非サッカー的な部分での貢献について考察してみたい。
本田選手のインタビューはいつも面白い。
抱腹絶倒とか当意即妙とか臨機応変とか、そういうお話ではない。
それどころか、本田選手の受け答えは、聞き手の質問と噛み合っていないケースが多い。事情を知らない人間が見ると、失敗に見えるかもしれない。
「ああ、このインタビュアーは、選手を怒らせてしまっている」
「っていうか、この選手は、どうして普通の質問に普通に答えないんだ? 中二病か?」
と、そう思う人もいるはずだ。
私はいつも楽しく享受している。
理由は、本田選手が、ひとつひとつの質問にいちいち「自分の言葉で」答えようとしているからだ。
だから、聞いていて説明不足を感じる時もあるし、表現が空回りして見えるケースもある。が、それは、「独自の言葉」を使う人間が当然引き受けなければならないリスクで、本田選手は、常にそのリスクを引き受けているということなのだ。
彼は、無難なコメントや、ありがちな模範回答や、お約束のリアクションに頼ることはしない。いつも、質問に対して、自分の頭で考えて、自分の言葉で返答している。だから、彼のインタビューは、的外れだったり、舌っ足らずである部分を含みおいたうえで、それでもなお十分にスリリングなのである。
ファッションもそうだ。
両方の腕に腕時計を巻くこととか、今時、金髪に固執していることとか、いちいちが面白い。要するに、やりすぎや思い込みの部分コミコミで、彼は、常に自分自身であろうとしている。空気を読んで調子を合わせたり、適当なところでお茶をにごしたりしない。いつも自分のプリンシプルを押し通し、自分のアイデンティティーを守ろうとしている。素晴らしいではないか。
ついでにいえば、本田選手は、自分の向上心や努力を隠そうとしない。スポーツ根性漫画の主人公みたいに、いつも努力と全力と成長について語っている。この部分だけを聞いた人は暑苦しく感じるかもしれない。が、彼は聞き手の思惑なんかに頓着しない。ただただ、まっすぐに暑苦しく語るのである。
……ということはつまり、彼は、21世紀の若者としては、かなり「イタい」部類の人間だということになる。
「イタい」
「ウザい」
「ヤバい」
いずれも、若い人たちが、空気から浮いている人間を指す時の言葉だ。
彼らは、ハブられる(←仲間はずれにされる)ことを何よりも恐れ、自分が取り残されたり、先走ったり、悪目立ちして、周囲から浮くことを常に警戒している。
だから、チームワークは良い。
就活中の学生がふた言目には口にする「コミュ力」(「こみゅりょく」と読む)も高い。
でも、そんなふうに生まれつきのチームスピリットに恵まれた協調性の高い彼らは、その実、内心の奥深いところで、本田のような、イタい仲間の存在を求めているのである。
これはとても面白いことだと思う。
仲良しで、優秀で、足並みが揃っている彼らは、実は、チームの中にひとりかふたり、「ウザ」くて、「イタ」くて、「ヤバ」い誰かがいないと、うまく機能することができない。
というのも、「イタ」さとは、孤立を恐れない魂の力であり、「ウザ」さは、あからさまな向上心の別名であり、「ヤバ」さは、リスクそれ自体を指し示す言葉だからで、結局のところ、そういう火花が無いとエンジンは動き出すことができないのである。
サッカーでは、誰かが無理なプレイを選択しないと得点は生まれない。
戦術は、合理的であるべきものだし、パスは理性と理性が合致しないと通らない。
でも、90分のゲームの中で何回か、誰かが無理なドリブルや、無茶なパスや、無駄なスライディングを仕掛けないとゴールは生まれない。で、そういう非合理なプレイを持ち出すことのできる選手は、技術的な意味ではなく、人格としての素養として、ひどく限られているものなのである。
結局、イタい男じゃないと、イタいプレイはできない。そういうことなのである。
本田選手については、色々と賛否両論がある。
「本田ってイタいよね」
と、そう思っている日本人は、おそらく、少なくないだろう。
が、せめて、サッカーファンであるわれわれは、イタい人間として生きる道を選んだ彼の勇気を賞賛しようではないか。
あるいは、イタい男というのは、意識してイタくふるまっているのではなくて、生まれつきイタいヤツであるだけなのかもしれない。
が、だとしても、彼は貴重な人材だ。
私は応援するぞ。イタいと言われても。
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ちなみに、夫は本田選手を「目立ちたがり・口だけ・ええ格好しい」と、嫌う。(-.-;)
だから、私は家では、本田選手への賛辞をおおっぴらには語れない。